念奴嬌 赤壁の懐古  蘇軾


  大江東に去り
  浪は淘あらい尽くせり 千古の風流人物を
  故塁の西辺
  人は道う 是れ三国周郎の赤壁なり と
  乱れし石は 雲を崩し
  驚ける濤なみは 岸を裂き
  千堆の雪を捲き起せり
  江山 画けるが如し
  一時 多少いくばくの豪傑ぞ

  遥かに想う 公瑾こうきんの当年
  小喬 初めて嫁し了り
  雄姿 英発なりしを
  羽扇 綸巾りんきん
  談笑の間に 強虜は灰と飛び煙と滅せり
  故国に神こころは遊ぶ
  多情は 応に笑うなるべし 我が
  早く 華髪を生ぜしを
  人間じんかんは夢の如し
  一樽 還た 江月にそそがん

 創作背景と解説
 
 元豊2年(1082)黄州での作。有名な「赤壁の賦」とほぼ同時期の作品。念奴嬌は詞牌の名。
 建安13年(208)冀州の袁紹を滅ぼし北方を平定した曹操は、大挙して江南に進出してきた。孫権・劉備の連合軍はこれと戦い、赤壁で曹操を火攻めにして大いに破った。蘇軾のいた黄州の西方に赤い色の山があり、そこが赤壁の古戦場といわれていた。
 赤壁の大戦で呉軍を率いたのが周瑜、字は公瑾。彼の妻が小喬、二人の姉妹で、姉は孫権の兄孫策の妻となっていた。この二人の美女をあわせて二喬という。

   大江の水は東へ東へと流れゆき、
   波は千年の古人のおもかげを洗いつくした。
   あの石垣の西の方、
   そこが三国のころの周瑜の古戦場、赤壁だと、ひとはいう。
   岩石は雲の峰のくずれたにもまがい、おどろしく、
   さかまく波がしらは岸をつんざき、
   雪の山にも似たしぶきを飛ばす。
   画をみるような山と川、
   あのひととき、ここに出あった英傑の数はいかばかりであったか。

   想いやれば、周瑜はその年、
   美しい小喬を迎えたばかりで、
   英雄のすがたいさましく、
   羽うちわと綸子の頭巾(をつけた諸葛孔明との)
   談笑のしばしの間に、強敵は灰けむりとなって、ついえ去った。
   ああ、故里へ魂ははせる。
   こころある人は、笑うであろう、
   私が早くも白髪頭になったと。
   だが、人の世はまことに夢。
   まずはこの一本の酒を大江の月にささげるとしよう。

 「千古風流人物」にいう「風流」の原義は、自由不羈の精神である。世俗間のわずらわしさから開放され、自然の美などに楽しみを求めることも風流である。ここは周瑜や諸葛孔明などの英傑を風流の人物とよんでいるらしいから、原義に近く用いてあると思われる。
 「羽扇綸巾」について。羽扇は羽うちわ。綸巾はりんず製の頭巾。この両者は三国から六朝時代へかけての貴族が、私生活てくつろいでいるときの身なり、持ち物であって、充分の余裕があることを示すのであり、ここでは大敵を恐れぬ大胆さを表わしている。諸葛孔明が当時この頭巾をつけていた証拠はないが、後世の戯曲小説に現れる孔明は羽扇綸巾の服装で知られていた。

                  (小川環樹「中国詩人選集・蘇軾」)